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42●岡山市民の文芸祖母の慈愛掲載日:平成19年 昭和十五年私が女学校一年生の十月二十日母が田の畦にそら豆を植えていて横の深い溝に転び腸捻転になり岡山大学病院で手術を受けたが当時の医術では、そのまま帰らぬ人となってしまいました。 それからは六十五歳の祖母が母親代わりを努めてくれたのです。家族は祖父母、父と私と妹二人の六人でしたが一、五ヘクタールの大農家で母の葬儀を終えてからは早速稲刈となり祖母が元気を出して頑張ってくれたのです。 十七年十月母の三回忌を終えたある日父が私に「学校を退めて百姓を手伝ってくれないか、おばあさんも年と齢しだし……。」と、言った時、祖母が「学校を途中退めしたら二度とできるものではない。ウチが頑張って手伝うから続けて行きなさい。」と、言って行かせてくれた恩は私の命ある限り忘れることはありません。 また、その年、稲の収穫を終えたある日、父の親友が再婚話を持ってきてくれた時も反対する祖父を上手に説得して四十五歳の父に再婚させたのです。祖母の心中は母親として父に伴侶をもたせてこれからの長い人生を幸せなものにしてやりたかったのでしょう。 この義母は赤磐郡の中山村の人で結婚した相手が出征して戦死し、父の親友の会社に勤めていた

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