新しいブック
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46んかナ……。」と涙を流す。「おばあさんと三十年一緒に暮らした嫁の百合子よ……。」と言っても「そんな人は知らん、どなたか知らんけどすみませんナ……。」と、涙を、姑の涙に私の涙腺も弛むのであった。 姑の食事は、お粥に魚の白身とか野菜を少々、野菜を小さく刻み玉子を入れたお雑炊、リンゴとバナナが好物だったのでこれをミキサーにした物等を交互に食べさせるように。 また当時は尿とりパット等は無かったので姑と私の古い浴衣等で作り、おしめの交換をしていると、「どなたさんか知らんがすみませんナ……、ありがとう、ありがとう……・」と、その後で温かいタオルで局部を拭いていると、すすり泣きをするのだった。 そして週に一度は夫に手伝って貰い風呂にも、すると夫をみて「あんたはどなたさんかナ……。」と「オレを忘れたんか、松郎じゃ。」と、言っても「そんな人は知らんぞ……」とまたも涙。私は毎日姑の介護をしていてやがて自分にもこのような時が来るのだと思うと人生の終末の侘びしさを感じたのだった。 夫は一人っ子だったので両親は私に嫁として温かく接して下さったので介護の折には悔いの残らぬ介護で恩返しをと思っていたので一人での介護も苦痛に思ったことはなかったのである。 そして五十二年五月二十六日の朝食も同じように抱いてお粥をスプーンで口に入れても呑み込めなくなり、ぐったりしてしまったので、夫がすぐ医師を迎えてきたが「ご臨終です。」の言葉で安らかに永遠の眠りに就いたのだった。享年八十七歳であった。

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