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47●岡山市民の文芸男の涙 男性の涙はよほどのことがない限りみることはないであろう。 平成八年七月二十日、急逝した夫が自分の死期を悟ったのか数日前の夜、私を強く抱きしめて「お前には苦労ばかりかけてほんとうにすまなかったのう、赦してくれ。」と、言って大粒の涙を落とすのだった。 「そんなことはどうでもいいの、あなたが一日でも長生きしてくれればそれでいいの…。」と言いつつも、私の涙も流れるのだった。 夫は昭和十七年旧制中学を卒業して、国鉄広島鉄道局岡山工事部で国鉄の修復工事または新設等には測量に行き、設計等をしていた。 しかし、十九年に赤紙一枚により広島陸軍師団に入隊させられ、兵役に従事していた。八月五日歩哨夜勤で六日早朝に交替して朝食をとり、兵舎で睡眠していた。あの八時十五分の原爆投下により兵舎と共に吹き飛ばされて、気が付いた時は奇跡的に仮説医療所だったとのことである。体には数か所の傷跡はできたものの命拾いをして、終戦と同時に復員し復職した。 私たちが結婚したのは昭和二十二年十月、山陰方面へ新婚旅行の夜「オレは今の仕事を自分の生掲載日:平成21年

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