新しいブック
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48涯の生き甲斐として続けたいので両親と百姓をしてくれるか…。」と言うので、農家育ちの私は「百姓仕事が好きで来たのだから勿論よ。」と、言うと安心したのか喜んでくれた。 国鉄では毎年四月に定期身体検査がある。三十六年の検査で夫の肺に異常が見付かり、国立岡山病院で三か月間検査と療養をして退院した。復職してみれば戦後の国鉄工事はどんどん進みデスクはあってもポストが無い状態で、約一か月間辛抱したが退職したのである。 三十九年に入り熱の出る日が多くなり、入院して精密検査の結果は左肺に結核性でない異常があり、左肺の全摘を告知された。当時はまだ被爆症等の研究は究明されていなかったが、医術を信じて応じたのだった。五時間余に及ぶ手術にも成功し、約三か月間で退院はできたものの無理のできない体となったのである。 丁度二人の子供の中学、高校時代であり、夫には気楽に農業をしてもらい、私が会社に勤めることにして家計を支えたのである。 でも麦や水稲の施肥、害虫防除等の約20キロもある機械を背負うことは夫には無理なので、私が日曜日等に元気を出したのである。 こうした様を見ていた夫の真の気持ちが解ったのは、一周忌を終えた頃に私の心がやっと平静になり、

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