新しいブック
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58 平成八年七月中頃の夜、夫が急に私を強く抱きしめて「お前には苦労ばかりかけてほんとうにすまなかった、赦してくれ」と言って、大粒の涙を落とすので「そんなことはどうでもいいの。あなたが一日でも長生きをしてくれればそれでいいの」と言いつつも私の涙も流れるのだった。 そして七月二十日午後三時頃、冷房を入れて内職をしていると「オレがやっているから買物に行って来てくれ。鰆の刺身と白桃を食べよう」と言うので、私はすぐバイクで茶屋町のスーパーへ行き、約一時間で帰ってびっくり。夫が横向きに倒れてポリ袋が散乱、どうして……。 私は腰が抜けて歩けなくなり、這って電話機まで。救急車で病院まで駆けつけたが、医師の「お気の毒ですが、ご臨終です、午後五時十分」との冷たい言葉に私の体は震えが止まらなかった。 余りにも急な別れだったので、葬儀のことは私の頭に記憶して無いが、納骨を終えてやっと夫のあの夜の言葉が思い出され、自分の生命の限界を察知しての別れの言葉だったのかと。 男だから多くは語らなかったが、赤紙一枚で自分の夢も希望も無くされた悔しさ、酸素吸入で生かされている惨めさ、家族にまで苦労の及んだ辛さがあの夜の涙であったのだと。 あの戦争を知っている人も年毎に減り、風化されようとしているが、戦争は絶対にしてはならないこと、二度ない命の尊さをもは強く伝えてゆかねばと思うのである。

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