新しいブック
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66要となるので、私は欲しいのであった。 家に帰り両親や夫に相談したけれど「茶屋町迄通い作などできない」と家族皆に反対されたが「私が自転車や、リヤカーで作りに行くから…」と家族を説得し、貯金を全部投じて夫に頼んで買い付けに行って貰った。 私が言い出した事なので、十一月稲の収穫を終えた田に私は麦蒔き機をリヤカーに積み、早速作業に行ったのである。私の働く姿を見ていた夫も次第に本気になり、興除村時代の村道が少し広くなると、軽四輪車を購入して率先して働いてくれたのである。 月日は流れて、昭和四十六年に入ると、そのあたりが宅地化されることになり。両隣の二軒の方が来られて、三軒で売れば高価に売れるとの事で、夫も同意し五百万円で売却できたのである。 すると私方の近所では「松郎さんは五百万円の宝クジを当てたよ…」との評判となり、又私の我欲が芽を出し、夫に「あのお金が入金されたら家の建て替えをしようよ…」と言い出したら「五百万円で家が建つか。一千万円は最低でもいるぞ…」と多叱られ。 でも私はこの古い家で一生を終えたくないので、丁度求人広告で見ていた約三粁はある中畦のポリ袋の会社に就職し、ローンを組むことにし、夫の了解を得て定年までバイクを飛ばして働きに行ったのである。

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