新しいブック
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69たのでした。 そして妹二人が居たので、私が婿養子をして実家を継ぐことになっていたのに、事態は急変し、農業会をやめて私は見合い結婚で嫁ぐことになったのです。 相手の男性は農家の一人息子ですが、農業が嫌いで昭和十七年、旧制中学を卒業して広島鉄道局岡山工事部に勤務していて、国鉄路線の測量をし、工事の設計等をしていたのですが、十九年に入り兵役で広島師団に入隊していて、あの八月六日の原爆を受けたのですが、兵舎に居て兵舎ごと吹き飛ばされて体中にたくさんの傷がありました。 丁度朝礼の時間帯で兵舎外の人々は全員即死だったと、後に夫から聞きましたが、夫は九死に一生を得て帰還して、元の職場に復職していたのです。 そして二十二年五月に和裁の先生の仲人で、お見合いをして本人もご両親も女学校卒業者で、農業が好きであることが条件で、二十二年十月二十日に嫁いできたのです。 婚家は約八十アールの農家だったので、私は実家でよく働いていたので夫が勤めに行っていて、両親との作業は苦にならず、両親の優しい言葉で毎日楽しく農作業をしたのです。 昭和二十四年一月に長女を、二十八年一月に長男を授かりましたが、両親二人で子守をして下さるので、私は殆ど一人で農作業をしました。そして夫のいる日曜日に、一人では出来ない脱穀等の作業

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