新しいブック
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70をするようにしたのです。 でも、人の一生には予期せぬこともできるもので、三十六年の国鉄恒例の身体検査で夫の肺に異常があり、国立岡山病院で精密検査では当時漸く研究されていた被爆症と解り、左肺の全摘出を告知され、悩む夫に私は手術を勧めたのです。 この手術は成功しましたが、復職してみると三か月間には自分の仕事は人の手に、仕事内容も分からなくなり、退職せざるを得ませんでした。 両親も年老いていたので、私は夫と二人で農作業をし、子供達に後悔の残らないように希望の大学へ進学させる為に、私が会社に就職。約三粁の距離はある会社にバイクを飛ばし、定年まで勤めたのです。が、その間に両親も見送りました。 そして夫にはトラクター等の体に無理のない仕事を頼み、私が日曜日に農薬散布、施肥等はし、農繁期には子供達も手伝ってくれ、楽しく農作業をすることができたのです。 そして二人の子供も大学を卒業して希望の道に進み、よき伴侶に恵まれ、幸せな家庭を築いてくれているので、私たちの苦労も報われました。 しかし夫は、平成五年に入り、体調不良になり、約三年間酸素吸入をしていましたが、平成八年七月二十日、私に感謝の言葉を涙ながらに残し、遠く天国へ旅立って逝きました。 それから水田は近所の若い方にお願いしましたが、畑作りは元気で続けたいと思っています。

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