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71●岡山県 高齢者主張大会応募作品戦後の農作業の推移 現在の農作業は当地方では米麦が主であるのですべてが機械化されていて女性が田に出て働らくようなことは殆無くなったのである。 古来より日本は瑞穂の国と言われ日本人の主食である米、その稲作りの大変さを知っている人は年毎に少なくなり私どもが最後であると思い書き残したいと思ったのである。 私がこの農家に嫁いできたのは昭和二十二年十月で夫は国鉄に勤務していて両親と当時総てが手作業の時代であったが私の実家も一、五ヘクタールの当時としては大農家であり兄が出征しており女学生時代からよく手伝っていたので若さもあり苦労とは思わなかった。 当時は麦刈の始まる五月中旬からは太陽と共にの生活で朝食をし夫の弁当作りをして送り出して両親と麦刈りへと急いだのである。麦の収穫を終えると先づ苗代作りから始まる。苗代にする場所は二月初めにトラクターで何回も耕起して土を寒さに晒して土が軟くなるようにしたのでありこの作業は夫が日曜日等に行っていた。 そして五月初めにその場所に水を入れて牛でよく練り水を溜めて、三日間位そのままにしておく。その間に籾種の用意するのであるが前年に米の収穫の時に籾種用として良い籾を反当約二升位だった掲載日:平成25年

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