新しいブック
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72と思う。これを先ず水洗いし浮いた籾を捨て更に薄い塩水浸して浮いた物を除き笊に移して水気を切り布袋に入れて川に浸して発芽を待つのである。 そして種の発芽の兆がみえたら苗代田の用意で反当約畳一枚分位の割合だったと記憶している。約畳幅位に溝を切りその土を上に盛り上げジョレン鍬で平らによく均してから二人で両側から板を押しつけての出来上り、その上に発芽している籾種を一面に上手に播き種籾が見えないように秋に籾がらで作っていた「クンタン」を一面に散布すれば苗代作りの終了である。 田植えは当時高梁川の水上から始まり、義母の実家が倉敷市帯江で私の実家が茶屋町なので私が親戚の田植回りをしていた。 その間に夫が有休を貰って義父と二人で田植ができる様に牛で代かき等をしていた。 そしてわが家の田植えの日にはまだ薄暗い中に起床して朝食と田植えに来て貰う皆さんの晝食の用意もしたものである。義母には二十四年一月に授った長女、二十八年一月に授った長男のお守り役をお願いしていたのである。 当時は親戚間でもこうした交流で親蜜関係が何かにつけて増していたが近年は余りにも文化的生活で交流が少なくなり残念である。 そして八月に入ると稲田の中に小さい草が沢山生えてくるのでこれをお盆迄には取り終えなければな

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