新しいブック
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77 当時宇野方面への道路は宇野線彦崎駅前から宇野線沿いに細い道路で自動車等は殆通っていなくて父と両側の民家の間を縫うように自転車を進めた。 そして常山が近くなると児島湾の波しぶきが太陽に照されて美しく光っていた。常山の裾野に入ってからも自転車で行ける所迄行き自転車に錠をかけて一歩一歩と秋のススキ、名も知らぬ色々の草花を眺めながら父と語りつゝ頂上目指して登ったのである。 標高三〇七米の山頂に立ち大きくて美しい児島湾を眺め、また左右の児島連山の少々紅葉に入っている大自然の美しさと偉大さをも感じたのである。そして頂上の岩石に腰を下して父の識る歴史で戦国時代に小早川隆景率いる毛利の大軍が常山城を攻撃して城主上野隆徳以下城兵が悲壮な最後を遂げた常山合戦の話等を辨当を食べながら語ってくれたのは現在になっても忘れられない思い出である。 「私の自分史」 それには私の生きてきた忘れ得ぬ自分史が含まれているからである。私が倉敷高等女学校に入学できた昭和十五年、稲刈を目前にした十月二十日、母が畦に蚕豆を植えていて隣との田の当時塩抜きと云っていた深い溝に転び苦しみだし父が茶屋町から人力車で来て下さる医師に診療を受けると腸捻転故に早急に手術が必要とのことで丁度私が学校から帰っていたので父と付添ってタクシーで岡山大学

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