新しいブック
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78病院へ行き手術を受けたが当時の医術ではそのまゝ帰らぬ人となってしまったのである。 享年四十歳であった。父は四十三歳。 父は子供達の意志を大切にする人で昭和十四年兄が当時若者の憧れの陸軍将校を夢に岡山第一中学四年生末に東京の陸軍士官学校を受験して合格すると、とても喜び入学式には東京迄送って行き、自分がその昔天城塾で親友であった(天城高校前身)当時岡山選出の国会議員の星島二郎氏に保証人を依頼する等の親としての責任は果す人であった。「実家の農繁期」 当時すべてが牛耕と手作業の農作業故に太平洋戦争に突入する迄は麦刈、稲刈には常時二人四国から来て下さり、イ草刈りには数人が来て下さっていた。しかし太平洋戦争に突入してからはこの方達も兵役に行き、ある夜父が私に「学校を退めて手伝ってくれないか。」と、言ったけれど私は「希望校に入学できたのに絶対退めない、学校から帰ったら一生懸命手伝うから…。」と、そして母の亡くなった昭和十五年稲の収穫時にはなるべく早く帰り、当時お菓子等の無い時代で祖母がおやつに「コーラ焼」と、言う小麦粉に砂糖、塩を混ぜてコーラと云う土鍋風のもので焼いて待ってくれていたのでそれを食べてすぐ田圃へと。

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