新しいブック
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79 当時は稲を刈り、少し乾いたら約20株位を束にして竿掛けにしてよく乾燥してから稲こぎをして籾と藁に分別したのである。 この竿掛けは満月の夜の前後に数日間に夜なべでしていた。ある満月の夜父が「百合子今晩は良い満月だ、先日から刈っている約一反歩の稲を束にして竿掛けにするかの…。」と、晩秋の太陽はつるべ落しで五時過ぎると薄暗くなる。祖母が作ってくれている夕ご飯を早目に食べて父と夜なべ仕事に、ひんやりとした空気の心地よいこと。空には満月が澄みきった空をゆっくりと進んでいる。この時こそ父と心から話し合える。 「兄さんが軍人を目指して進んだのはそれでいゝの、でも私も将来に何かの資格が取りたいナー。」等と、私の希望を満月を眺めながら「うんうん…。」と、頷くのみの父であった。 でもこの時の私の言葉が父の頭の隅にあったのだろう…後に実現の喜びとなったのである。そして満月も少しづゝ西へ進み10時頃には作業も終えることができた。すると父の平素からの平田篤胤の格言を「なせばなる。なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬ為なり。」と教えてくれた。 私が結婚して多くの試練にも出会ったが何時もこの父の言葉を思い出して乗り切ることができたのである。 太平洋戦争も日増しに激化し四国から来て下さっていた方達も出征されて来て下さる人も居なくなり、又、祖父母も70歳を過ぎると農作業もできなくなり、父が親友である当時トヨタ自動車に勤めて

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