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80いる方に相談していたのであろう、するとトヨタで住込みでお茶炊きや掃除等もしておられた方を紹介して下さり昭和17年10月母の三回忌を終えて10月20日に父の後妻として迎えたのである。 「継母とのなさぬ仲」 橘梅野さんと云うとても優しいよい人であった。祖父母はとても喜び「梅さん…梅さん…。」と、畑でも三人仲よく話し乍ら作業をしていた。親としては父が若くして妻に先立たれた息子に対する愛情だったのであろう。 この気持も当時の私には解る由もなく逆に私は腹が立ち継母を避けるようにしなるべく顔も見ないようにするのだった。 そしてその年の継母には先じめての稲刈りにも父と継母が仲よく話しながら作業していると私はわざと田圃の反対側に行き独り作業をしていると父が「百合子こっちへ来て一緒に話をしながらしようぜ…。」と、言っても「私は考えごとがあるから独りの方がいゝの。」と、反抗するのだった。 このような私の心理を察しての父の思いやりが十八年秋の常山登山だったのであらう。 私がこの常山を真正面に眺められる家に嫁いで来て当時が思い出されるのである。この山の頂上でお辨当を食べながら父が「お前の気持ちも父さんにはよく解るがお前が現い在まの母さんに反抗すればするほ

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