新しいブック
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87茶屋町の和裁教室へ連れて行ってくれたのである。 そして農繁期には農作業の手伝いを、農閑期には和裁を習得したのである。当時の牛耕と手作業の農作業は大変で両親と兄との口論は絶えず、私はこの頃には何時も継母の味方になり一緒に作業したのである。 そして二十二年の西大寺の会陽祭に、両親と私と三人で参詣した時には継母はとても歓び「こうして三人でお詣りできて今日はとても嬉しかったわ。」とハンカチを目に当てて言った言葉に私も涙が出るのだった。現在でもここに参詣すると去りし当時が思い出されるのである。 その年風邪で床に就いていた祖父が肺炎になり三月四日、75歳で他界したのである。一家の舵取り役を無くした家では毎日争いが絶えず其後は祖母が兄を宥めていた。 その年田植えを終えたある日和裁の井上先生が私に見合いの話を持って来られたので争いの絶えないこの家から早く出たい気持ちになりわが家で見合いをしたのである。 相手は農家の独り息子であり、兵役中に広島で被爆したが屋内に居た為に一命をとり止め元の職場、広島鉄道局岡山工事事務所に復職しており結婚すれば私が両親と農作業をするとのことであったが私はこれがいやではなく結婚に応じ二十二年十月二十一日に結婚式を行ったのである。 そして二十四年一月九日に長女を授りこの時は祖母が私の好きな「おはぎ餅」を持って介抱に来てくれたのである。

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