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88 又二十八年一月四日には長男に恵まれたけれど継母は早島の療養所に入院していた。 「なさぬ仲の罪」 私が嫁いでから半年後の二十三年四月に兄は私より一歳上の方と結婚した。とても気立の良い方で両親も兄夫婦の計画通りに農作業を進めていたが兄の思い通りにならない時は継母に当り父とも争いとなるのだった。 約五年間兄夫婦と生活している中に元気だった継母が労働とストレスに依り風邪で寝込むようになり父が病院へ診察に連れて行き検査の結果、当時流行していた肺結核と分ると、兄は「早う早島の療養所へ連れて行け、家族に移されたら困る。」と、父に迫り父はその年にすぐ申込みをして二十六年四月から入院させたのである。 私が結婚してみて夫や両親に仕えてみて継母が大家族の中でどんなにか気遣いをしていたかが痛いほど分るのだった。又、その狭間にあった父の心情をも察することができたのである。 そして二十七年四月には兄の公職追放令は解除になると兄は単身東京の警察予備隊へと入隊して行ったのである。そして約二年間は兄が警察予備隊で全国を転々としていたので姉と子供達は茶屋町に居たが姉は良い方で何の問題もなかったのである。

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