新しいブック
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90り父と自転車でかけつけた時には、もう母の顔は靜かな眠りにつき天国へと旅立っていた。私はこの時、自然に「お母さん娘時代の罪を赦して、ほんとうにご免なさい。」と動かない母に抱きつき涙が拭っても拭っても溢れるのだった。享年六十二歳であった。 実家の為に、いや私どもの為に、自分の子供もいないのに一生懸命に働いてくれた母、この母の死を悲しむ涙と、私の若い頃の罪を悔いる涙が入り混り父が私の背を叩くので我に返ったのである。 父の目からも大粒の涙が落ちていた。父の心は私以上に揺れていたに違いない。約八年間の短い夫婦としての生活の中で楽しいことよりもお互いに人に心を配らねばならない事の人間としての切ない涙が多く含まれていたに違いない。このことが解る心に私自身の心も成長していた。現在の私には幼い時に他界した実母よりもこの継母との思い出が胸中を多く占めているのである。 それにしても継母の八年間の入院を一度も見舞うことをしなかった兄の気持を察しかねるがこれも軍国主義的教育を受け数年間も戦場を巡り人間の殺傷を是としてきた恐ろしい人となりの教育をも感ずるのであった。 「継母の葬儀」 そして継母の葬儀も兄の強い反対で茶屋町の実家では施行できなくて父が病院にお願いして荼毘に

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