新しいブック
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91臥して頂き、実家の赤磐郡中山村の弟さんにお願いして、父、叔母、私、妹の四人で父に従って津山線で行き、どこの駅で降りたのかも覚えていないが、駅からタクシーで中山村迄行き、山を約20分位登った所に中山村があったように記憶している。 そして弟さんが住職さんをお願いして下さっていたので橘家身内の方々と一緒に読経し葬儀を終えたことにして、四十九日迄の供養を弟さん宅にお願いして帰ったのである。 後日父が納骨日迄に間に合うように中山村近くの墓石屋にお願いして、住職さんから頂いた戒名「梅香襌定信女」の石塔が橘家の墓地に届けられていたので弟さん夫婦と私と父が行き住職さんに読経して頂き供養して継母の生前からの希望通り中山村に永眠することができたのである。 そして私の胸には、この人の人生とは何だったのだろう。赤磐郡の山深き貧しい農家に産れ、成人して結婚を得たのも約半年で夫は兵役に行き戦死、仕事も無い山村にも帰れず岡山に出て会社の掃除婦に、その後、農家の後妻(私の実家、父と結婚)として働き、難しい子供達の中での気苦労の果てに病を得て八年にも及ぶ病院生活の末に独り淋しく昇天とは余りにも哀れな人生ではなかろうか。 でも岡山のトヨタ自動車会社に居たならば二十年六月二十九日の大空襲で犠牲者になっていたかも分らない。人生とはその人に課せられた運命であらうか…。私はこんなことを考えながら帰途津山線の中から去りゆく外景を眺めつゝ帰ったのである。父の胸中は如何ばかりだったのか…私の知る由もなく、じっと眠ったようにして、うな垂れている姿に私は話しかける気にもなれなかったのだ。

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