新しいブック
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93て帰ったので、すぐに放棄の捺印をしたのであるが兄は三分の一の権利を主張して田圃四反歩、兄の所有田と妹夫婦と決めたのである。 すると次に兄は父の金庫を持ち出し貯金通帳等の確認をしていたが「百合子へ」と父の毛筆の封筒のみは私に渡してくれたので私はそれを持って帰ったのである。 相続問題はどこの家庭でも争いの因となるが、兄夫婦と妹夫婦の容易に決着の付かない場所に居りたくなく帰り、父から私宛の封筒を開けてビックリ。 私が実母を亡くしてから兄の帰還迄に父の片腕となり働いていたのを認めてくれていたのであらう、その時点でも現在でも私には大金の貯金通帳と印かんが入っていたので夫にだけは見せて昔を語ったのである。 「兄一家の幸せ」 昭和二十七年四月警察予備隊へ入隊して行き四年後位だったと思う頃に自衛隊となり兄は官舎も頂け家族も東京へ呼び寄せたのである。そして数年後、小平市に自宅を新築して私達にも祝宴の案内状が届いたので夫と上京したのである。その時の家族の幸せ振りに私達は去る実家での二人とは全く別人の様であり兄の優しさはまるで人が変った様に私達にも笑顔で接し、又、当時の東京の経済都市となっている街をも夫と感心して散策したのである。世の中も人も平和になれば総てが変るものなのを痛感したのである。

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