新しいブック
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95夫はすぐに「お彼岸にでもお詣りするか。探して行けば解るだろう。岡山の叔母さんと茶屋町の妹にも早目に連絡してやれよ。」と、夫の優しい言葉に私の胸は熱くなるのであった。 五十四年三月二十五日、少し早く午前八時に出発して茶屋町の妹を、岡山駅西口で待っている叔母を乗せて車を進めたのである。 この日は天の神も私どもの心を察して下さったのか晴天の良き日であり山間部に入ると木々の新芽が美しくよい香りも漂い最高のドライブ気分になるのであった。 当時はまだ県北部の道路は整備されておらず乗用車がやっと通れるガタく道であった。 行く先々で夫が畑等をして居られる人に道を尋ねながら車を進めて12時過ぎてやっと中山村に辿り着き、私が持参していたお茶と大きなあんパンで晝食とし食後に甘いミカンを。 一休みして継母の生家橘家の墓を畑仕事をして居た人に問い車を止めて山道を登ったのである。山村の僻地故に当時でさえ人の住んでいる家は数軒のみの様で橘家の事を畑仕事の人に尋ねると弟さん夫婦が亡くなられて己に10年余経ち甥の方は仕事の無い山村を捨て大阪方面へ出て行ったきりで生家は今にも崩れるばかりになっていた。 そしてこの辺りの墓は殆が雑草に埋れていた。母の墓も同様で戒名で私が見付けて鎌で草を刈り「梅香禪定信女」の石塔をこの世に出してあげ、手拭いでキレイに拭いてから、お花を供え水を入れ、線香を焚き、お米も供えて皆で短い読経をしたのである。

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