新しいブック
98/102

96 夫がカメラを持参していたので二人づつで墓を囲みこの日の記念を残したのである。 この日、この遠く迄、車を走らせてくれた夫に私は心からの感謝の念が湧くのだった。そして母もきっと喜んでくれたことと信じるのだった。母とは仲よしだった叔母もこの日のことを喜び何度も電話して来たのだった。昭和39年に入り広島で兵役中に被爆した夫に被爆者手帖が送付されてきて夫は左肺の全摘出をしたけれど重労働はできなくても、このように車の運転もでき私どもの二人の子供達の家にも二人でよく訪ねたのである。夫は平成五年に入り酸素吸入生活に入り、八年七月二十一日に急逝、享年73歳の生涯を終えたのである。私は現在独り暮らしであるが二人の子供達が夫々に幸せな家庭を築いている故、安心して生活でき健康にも恵まれて感謝している。  最後にその後の兄の件であるが、自衛隊東京本部で幹部として勤務していたが昭和55年3月末で定年退職し、二人の子供も結婚して京都方面へ、淋しい暮しとなり病を得て入退院のくり返しで58年3月23日急逝したのである。奇しくも継母梅野さんと享年が62歳であり死亡の月日も同じで私は何だか悪い佛心を感じさせられたのである。 人の一生には努力しても報われない運命もあれば、何等かの偶然に依り幸運を得ることもある。平成23年3月の東日本大震災のように人為的ではどうすることもできない運命もある。こうした宿命が解らない故に人は希望を持って生きることができるのだと私は思う。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です